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スペインの風車
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「スペインはヨーロッパの中のアフリカ」または、「ピレネー山脈を越えるとそこはアフリカだ」とよく言われます。
私なりに感じているのは、スペインは、他の西洋諸国と比べ、独特の雰囲気を持っているということです。
時間をかけて昼食をとることと、その後の「シエスタ(昼寝)」。
1日5回食事をすること。
女性でも低く太い声で話すこと。イスラム文化の影響を受けた建築物。ガウディ、ピカソなどの個性的な芸術家たち。
ひとつひとつの小さな現象が幾重にも重なって、独特な雰囲気を作り出しています。
それは過去に様々な文化から影響を受けていたからではないでしょうか。
スペインの歴史を紐解いてみても、ケルト人、ローマ帝国、西ゴート人、イスラム帝国に支配されています。
イスラム帝国には、8世紀初めから15世紀末までの約700年間支配されていました。
占領下では、血も文化も混ざっていきます。
そして、イスラム帝国からの国土回復(レコンキスタ)後も、自分たちの文化として根付いていったのです。
その結果が今のスペインという国なのかもしれません。
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闘牛士
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闘牛もスペインの独特な文化のひとつです。
初めて入った円形競技場は、傾斜が急な上に、ぎっしりと人が詰め込まれていました。
闘牛が競技場に登場する前に、まず牛の体重が発表されます。
500キロが平均的な体重でした。
牛が入場すると、闘牛士がマントを翻したり、アシスタントたちが槍でつつき、牛の性質を見抜きます。
ほとんどの牛は好戦的ですが、中には後ずさりする牛もいます。
牛の性質が分かると、主役の闘牛士が飾りのついた矢で牛の背を狙います。闘牛士は、牛を体にぎりぎりまで引き付け、2本ずつ飾り矢を刺します。そして、赤いマントを巧みに使いながら、牛を疲れさせます。
最後には、剣で牛の背骨近くにある心臓を狙います。
「オーレー!オーレー!」と歓声が響いていた会場が、一気に静まり返ります。
闘牛士だけでなく、観客誰もが息をのむ瞬間です。突進する牛に向かってゆく闘牛士は、命がけの戦士のようです。
見事に牛の急所に剣が刺さり、牛が倒れこみます。
闘牛士には、名誉の証として牛の耳が切って渡され、観客からは惜しみのない拍手が送られます。
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一面のひまわり畑
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スペインを旅行中、1日1回は寄ってしまうのが、BAR(バール)です。BARはスペイン人の生活に欠かすことの出来ないものでもあります。
朝早くから夜遅くまで営業していて、いつでも気軽に、簡単な食事ができます。
カウンターには、tortilla(スペイン風オムレツ)やbocadillo(サンドイッチ)などが常に並んでいます。
カウンター席とテーブル席によって、料金も違います。
日中は、カウンター席で、手早く食事を済ます人が多いですが、夕方からは、テーブル席で、ワインやビールを片手に仲間と話し込んでいる人をよく見かけます。
 
この夏、バスク地方を訪れました。バスク地方は、ピレネー山脈の西側に位置しています。
スペイン側4県フランス3県の合計7県で、国境をまたいでいます。
面積は約20万u、日本の四国がすっぽり入る大きさです。
フランス側のバイヨンヌとスペイン側のサンセバスチャンでは、趣が違いました。
バイヨンヌは、フランスの香りがする街で、どこか上品な気がしました。この地方の銘菓マカロンは、素朴ですが、優しい甘味がしました。
サンセバスチャンは、近代的なにおいがしました。市街地近くに、荷揚げ港があり、工場や高速道路も走っています。
それでも、山側に行くと、緑豊かなピレネー山脈になります。
斜面には、白い漆喰の家が所々に見られ、赤や緑の窓枠が素敵でした。
バイヨンヌとサンセバスチャンに共通しているのは、フランス語やスペイン語の文字の下に、バスク語の表記があることです。バスク語の文字は、活字が独特で、太く、また、尖っています。
「ここはバスクで、私たちはバスク人だ!」
一人一人が、言語を通じて、自分のアイデンティティーを主張している気がしました。
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Javier城
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日本と関わりの深いバスク人の一人に、フランシスコ・ザビエルがいます。
スペインでは、「Francisco de Javier(フランシスコ・デ・ハビエル)」と呼ばれています。
16世紀、日本でキリスト教の宣教活動をした歴史的人物で、その功績から、後にローマ法王により、聖人として認められます。
今年2006年は、ザビエル生誕500年に当たります。
ザビエルの生まれた家は、今でもJavier城として残っています。
お城と言っても、フランスやベルギーで多く見られる優雅な趣のものではありません。
要塞としての機能だけを追及した、重厚なお城です。
壁も床も石造りで、天井だけが木で、太い梁が何本も見られます。
解説によると、ザビエル家はあまり裕福な家系ではなかったようで、家具も簡素なものが多かったです。
印象的だったのは、19世紀の日本の掛軸が2点展示されていたことです。
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Javier城からの眺め
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ザビエルが山口のタニザワ村で、井戸に腰掛け、村人に話をしている絵。
もう1点は、鹿児島の漁村で、聴衆に向けて話をしている絵。
バスクから極東の日本にやって来て、言葉の通じない日本人相手に宣教活動をする。
通訳がいたとしても、違う文化・宗教を持つ相手にキリストを信じさせるのは、どんなに気の遠くなる任務でしょうか。
きっと、強い使命感を持っていたに違いありません。
それでも、掛け物に描かれているザビエルは、とても穏やかな顔をしていています。
ザビエルはどんな気持ちで日本で過ごしていたのでしょうか。
また、当時ザビエルに接した人たちは、どんな気持ちだったのでしょうか。
Javier城から見えるバスクの青空を見ながら、スペインは知れば知るほど、奥が深いなと感じました。
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